曹操陣営のメンバー1 挙兵〜東郡太守就任前

曹操軍の出来事

189年〜191年

 陳留郡で挙兵

 反董卓連合国結成 陳留郡酸棗に駐屯(他に張邈、鮑信、劉岱、橋瑁ら)

 鮑信・衛茲とともに進軍するものの大敗

 揚州にて募兵、河内に駐屯(他に袁紹、王匡ら)

 河内太守・王匡を殺害

 東郡に侵入した黒山賊を破り、白繞を討つ

 

 

曹操陣営

曹操/夏侯惇/夏侯淵/曹洪/曹純/曹休/史渙/楽進/王必/王朗/荀彧/韓浩

(曹昂/劉岱)

 

曹操 行奮武将軍

 董卓から驍騎校尉に任じられるも都から逃亡。黄巾との戦いで武勲を上げ、斉南国相や西園八校尉を歴任するなど、声望あるエリートだったはず。前年には父曹嵩が太尉に就任しているが、曹嵩は挙兵に関与しなかった。董卓からの任官を蹴ったため連盟に参加した群雄の中では唯一官職を持たず、自ら将軍を名乗った。

 

夏侯惇 奮武司馬

 曹操が挙兵すると馳せ参じてその司馬に任じられた。曹操とともに揚州で募兵。

 

夏侯淵 奮武別部司馬・騎都尉

 曹操の義弟(妻同士が姉妹)。意外と初期の事績は残ってない。挙兵時、義兄の曹操は36歳なので二十代〜三十代前半くらいかな。別部司馬は別働隊指揮官。騎都尉は元来中央の高官で黄巾討伐の際には曹操も就任していた地位だけど、この場合は単に騎兵指揮官を指していると言われる。要するに夏侯淵の仕事は、本隊と離れて動く騎兵隊の指揮官。

 

曹洪 蘄春県長

 曹操の従弟。この頃に県長だったかは不明。徐栄に敗れた戦いでは献身的に働き曹操を救った。戦後は揚州刺史陳温との旧交を生かし、曹操とは別行動して数千の兵を集めた。募兵時には家兵1000人を率いていたので、もともと曹家の私兵を率いて挙兵に加わったのかも知れない。

 

曹純 黄門侍郎

 18歳で黄門侍郎になり20歳の時に曹操に従った。曹操が陳留郡襄邑で募兵した時から加わっていたというので、挙兵の準備段階から関わっていた初期メンバー。黄門侍郎の職は捨てて駆けつけたのかもしれない。この後、袁家との戦いまで事績がない。

 

曹休

 曹操の挙兵を聞くと揚州からはるばるやってきた。曹操はとても喜び、曹丕と同じように育てた。ちなみに曹丕はこの時は2歳か3歳。常に曹操の征伐に従ったというが、三十年後に騎都尉なので、この時はたぶんまだ子供。曹操曹洪よりも一世代下の若者。

 

史渙 行中軍校尉

 曹操と同郷の人。

 

楽進 帳下の吏

 のちの名将だけど挙兵時は吏、すなわち役人。役職名不明。曹操が挙兵すると馳せ参じた。

 

丁斐 役職不明

 曹操と同郷の人。募兵の時から付き従っていた。素行が悪く強欲だったが、曹操は特に咎めず幕下に迎えていた。

 

王必

 役職不明。吏僚系の人なので、楽進とともに幕下の吏だったのかな。

 

王朗

 曹操配下の武将。詳細は不明だが、曹操青州黄巾と戦う頃には一定の地位にいて于禁を推挙する。

 

荀彧 奮武司馬

 韓馥配下に加わろうとしたが袁紹冀州刺史を奪われていたため曹操のところに来た。曹操が東郡で黒山賊と戦っていた頃かその直後の東郡太守になった頃のこと。司馬の夏侯惇が折衝校尉に昇進し、その後任として司馬になったようだ。

 

韓浩 騎都尉?

河内太守王匡の従事。王匡の指揮下で董卓と戦っている。王匡殺害後のことか、袁術から騎都尉に任じられている。その後、なぜか夏侯惇の配下になった。袁術兗州侵攻時に裏切りや降伏したのでなければ、袁術曹操の関係が良好なこの頃の移籍。後に史渙とともに中軍指揮官となる。参加が早かった古参武将なのは間違いないが、いつなのかは不明。

 

※曹邵

 曹操の挙兵に加わろうとしたが董卓方の追っ手がかかり、豫州刺史に殺害された。なので、厳密には曹操配下に加わってはいない。この人の子が曹真で、曹邵が討たれると曹操に引き取られ曹丕と一緒に育てられた。曹丕曹休、曹真は一緒に育った仲良し三人組。

 

☆いたかもしれない人☆

曹昂

 曹操の長男。挙兵から7年後の197年に戦死するが、その時二十歳を過ぎていたことが分かっている。曹操二十歳の時の子なら挙兵時16歳、弟の曹丕も11歳で従軍したので早くに加わっていた可能性もある。挙兵時、曹操は単身で洛陽を脱出し、洛陽に住んでいた妻子は袁術が保護した。当時の家族は丁夫人・曹昂曹鑠清河公主・卞夫人・曹丕曹彰も生まれていたかも。

 

劉岱

 曹操と同郷の人。兗州刺史の劉岱とは同姓同名の別人。字まで同じと伝わるけど、混同してどちらかの字が誤って伝わってるんじゃなかろうか。後に司空長吏にまで昇進する。挙兵に加わったとの記述はないが、のちに昇進する同郷の人物なので、挙兵に加わってた可能性はちょっとだけある

 

☆まだいない☆

典韋 張邈が挙兵するとその配下に加わる。

曹仁 淮南で独立勢力を築く

于禁 鮑信の配下

 

 

挙兵してから黒山賊との戦いまでの間、配下武将には記録が少ない。具体的な事績が残るのは曹洪だけ。正式な官職についていなかったためかもしれないし、曹操軍として一かたまりで動いていたためかもしれない。